About SADO佐渡について

佐渡ヶ島の自然の画像

佐渡はこんなところ!

新潟県佐渡市として市町村登録されていながらも、その正体は、本島から少し離れたところにある日本最大の離島、佐渡ヶ島。東京23区の約1.5倍の大きさを誇ります。離島という独特の自然環境が活かされた山、海、どちらの特産品もトップレベル。

佐渡ヶ島の自然の画像 佐渡ヶ島の自然の画像 佐渡ヶ島の自然の画像 佐渡ヶ島の自然の画像

佐渡ヶ島のインフォグラフィック

佐渡ヶ島のインフォグラフィック

佐渡ヶ島のインフォグラフィック

History of SADO

佐渡の観光名所の画像

1佐渡の歴史の始まり

佐渡の始まりはかなり古く、遺跡の出土品から1万年前に人が住んでいました。金井地区の千種遺跡からは弥生時代後期とみられる石器や狩猟用具が発掘されています。 古事記や日本書紀にも佐渡の記述があります。 本土からの移住は8世紀頃とみられ、長谷寺や国分寺、清水寺など本土に縁の名を持つ寺院も建てられました。そしてそのころから都の政争に敗れた人々の流刑が始まったと言われています。彼らは佐渡に多くのものをもたらしました。特に鎌倉時代の順徳天皇や日蓮聖人、室町時代の世阿弥が与えた影響は大きく現代の佐渡芸能にも色濃く残っています。

佐渡の観光名所の画像

2徳川家康による佐渡の開発

江戸時代に入ると徳川家康が佐渡の金銀山に着目し、佐渡を幕府直轄(天領)として開発を始めました。以降260年以上続く徳川幕府の財政面を佐渡の金銀山が支えていきます。 鉱山開発により、日本各地から腕利きの山師、金穿り、大工、測量技術者が集まり、多くの商人も移住。急増した人口を支えるため、農業や林業の技術も飛躍的に進歩しました。

佐渡の観光名所の画像

3佐渡の近代化とこれから

明治時代に入り政府が西洋の技術を取り入れた近代化を進めますが、採掘量と費用が見合わなくなり始め、民間に払い下げ後の1989年採掘を中止しました。現在は金銀山跡を観光資源として活用するほか、金銀山の世界遺産登録を目指して様々な活動を行っています。 以上、駆け足ですが佐渡の歴史を紹介しました。でも興味深い史実はまだまだあります。佐渡の歴史を紐解く資料は佐渡博物館や各地の博物館に展示されています。また神社仏閣、史跡も各地に残っていますので、いにしえの佐渡をめぐる旅に出かけてみてはいかがでしょう。

Life Environment of SADO

佐渡の全体感が分かる画像

地理

日本最大規模の離島と呼ばれ、雷マークに例えられる特徴的な形をした佐渡ヶ島は、島全体が市のため、地図上では新潟県佐渡市となります。本州との玄関口となる両津港がある両津地区をはじめ、豊かな穀倉地帯の島の中心部、直轄領の中心となった相川地区や、商業が発展している佐和田地区など、実は東西南北バランスよく栄えています。

佐渡市内の画像

気候

新潟県といえば、雪国のイメージが強いと思われますが、実は新潟市などの平野部と佐渡はそれほど積雪はありません。寒さも、海流の影響で本土より冬場の気温が高く、長岡市や湯沢町などの新潟の山間部と比べたら落ち着いています。何より、佐渡の夏は涼しく心地がいいと、ホテル宿泊者様や従業員から好評です。

佐渡のスーパーマーケットの画像

食べ物

日本最大の米どころといえば新潟県ですが、佐渡もまたしかり。海流の影響で稲穂の実りの期間が長く、じっくりと育つので、甘みのある美味しいお米が育ちます。 海産物は鮮度抜群で値段も安価、果物の収穫も豊富なことから、食べ物目当てで移住を検討する人も多いようです。特に、地酒が低価格で楽しめるので、お酒好きな人には楽園に感じるそう。

佐渡のスーパーマーケットの画像

買い物

近年の移住者増加に伴って、佐渡でも生活インフラがどんどん発達しています。スーパーやコンビニ、ドラッグストアはもちろん、家電量販店、100円ショップ、ファストフードチェーン店なども至るところに存在するため、もはや離島とは思えないくらいの充実ぶり。 その上物価も安いため、実は生活の穴場かもしれないのが佐渡市です。

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